広島市立大学語学センター Newsletter No.18 (2003.6.10)

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 一つの言語を学ぶということは、新しい世界へ発見の旅に出るがごときのものである(ミヒャエル・エンデ)。

<質問>
交換留学でハノーバーへ行きたいと思っています。どのような勉強をするのが有効でしょうか。

ハノーバーで何をしたいのか──明確な目的と意志、それを達成させるための具体的な目標。それが定まっているなら相談にのります。

金 泰旭 先生
(ハングルI・II、国際企業論)
1. 市大生の印象
 学部間の格差が非常に激しい(語学水準・やる気)
2. ハングルを学ぶ事によって豊かになると思われるもの

 今後、日韓両国の親善(友好)関係を育てて行くためには、ひとまず両国の言語をわからなければならない。基礎からしっかり勉強することにより、あせらず、実力をつけてほしい。
3. その他のコメント
 既存の語学学習の枠にとらわれず、さまざまなトライ(TRY)をしてほしい。

<質問>
ワールド・カップ以来、日本では韓国カルチャーの人気も上昇し、ハングルの学習者も増えてきていますが、そのような中、先生が推薦される最新のハングルの勉強方法がおありでしたら教えてください。

まずは、映画や音楽など、親しみやすいところから韓国語に接近してほしい。最初から文法中心の学習にこだわってしまうと、途中であきてしまうかも。


恋の文学トンネルズ4

接吻と愛の誓い以上のこと

 とっておきの恋愛古典を紹介しよう。男女のそれについて史上もっとも昴奮させる珠玉文学。2世紀後半から3世紀前半のギリシア、レスボス島に生まれた牧歌的ラブストーリー。
 ああ、エーゲ海のまばゆい光。光はいつもまっすぐだ。このまっすぐのまばゆさを、そのまま全身でひきうけられるか否か。わずらわしさと無縁に、ややこしい心理の葛藤抜きに、何のわるびれることもなく、そのように、いかなる卑下もなくそっくり、すっきりとこの海からの射光を我が物とたのんで、ひとりの美しい人との愛に燃え続けて生きられるか。
 都会の大人の陰影めく情事なんかじゃない。スケベ、ヨッパライ、ギャルの寄りつけぬ場所。汚れたかけひき、へばりつく皮肉、濁った嘲笑は存在しない。下心なし、ゼニカネ無用の自然のまま。人工と作為のまがいものはアウト。過飾、好色、荒淫、悔い改めよ。
 ひたすらに純朴な、好きな人に近づきたい感情、一緒にいたい気持ち。ああ、まこと、光と水と葉緑素がこの世を緑にするように、光満ちた水々しい恋愛こそが人の世に花々を咲かせるのである。天然の果汁のような、極上の幸せな贈物として一冊の岩波文庫、ロンゴス作、松平千秋訳『ダフニスとクロエー』(1987年3月第1刷)を届けよう。
 ビロビロと鳴る半透明のグラシン紙の向うの、書籍をまとった赤い帯には「エーゲ海にうかぶ美しい島レスボスの自然にはぐくまれて芽ばえた少年ダフニスと少女クロエーの恋の物語」と印字されている。
 山羊の育てた捨子の男児の名は月桂樹(ダフネー)に由来して呼ばれ、羊の乳を飲むやはり捨子の女の赤子は春に萌え出た若芽(クロエー)と養母が

名づける。るりはこべとてんにんかの牧草地、アスフォデルスの荒野、家畜を統御する笛の音、青空に舞う数珠掛鳩の群れ。日の出から日没までの日々、太陽の運行とともに恋愛が自然のなかで成育する。
 しかし、誰もが知っていることだが、なぜ恋愛は哀しく、そして危険なのか。安全を保証された恋愛はどこにもあるわけない。
 世間には口先きと胃袋とへそ下だけの男もいるし悪い年増女もいるからなあ。
 身分(いかに制約された生活か。ドレイと主人の階級差は絶対である)と保身(食うため、生きながらえるため)、いくさと盗賊、嵐と難破、生存をおびやかす社会と自然の悪条件。だが悪党と凶事の出来と同じく、世間には誠実な良い人もいるものだし、それに何よりこの時代には神さまたちがいた。実際、人間が成熟するためには何とおおくの悪意と誠意、非業と恩寵に出会わねばならぬことか。
 この恋物語は「接吻と愛の誓い以上のことは何もしていない」純潔カップル寓話であり、神々の夢のお告げが導く素直な理想のロマンである。これは人類の根源的本能の勉強手引き。かつての恋愛幻視者への眼薬。これからの人には模範教則本にして健全媚薬。
 ロンゴスの序を引く。「この世に美しいものがあるかぎり、眼がものを見るかぎり、エロースの手を逃れた者はかつてなく、これからもありえぬ」。
 恋愛の神エロースと牧神パーンへの素晴らしい奉納品として、あのボナールによる挿絵にも注目してもらいたい。

(零零愛)

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