広島市立大学語学センター Newsletter No.20 (2004.2.12)

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語学センター長二名が退職されます

 平成10・11年度に語学センター長を務められた国際学部の姜範錫教授と、平成12・13年度に語学センター長を務められた国際学部の田中隆二教授が今年3月をもって、退職されます。退職に際して、在学の皆さんへの激励の言葉をいただきました。

姜先生
かんぽむそく
姜範錫教授

「太陽は燃ゆ・・・」

 「太陽は燃ゆ。燃ゆるが故に引力あり。人もまた同じ。」私はあまり燃えることがなかった。が、みなさんは燃えてください。それにはエネルギー(力)が要ります。語学力はその最たるものの一つ。その効果的備蓄は30才以前であるらしい。留意しましょう。

田中先生
田中隆二 教授

‘留学の機会いかそう’

 広島市立大学には大学間交流協定を結んだ外国の大学が幾つかありますが、昨年、オルレアン大学との協定が結ばれ、新たにフランス留学への扉も開かれました。学生の皆さんは、このような機会をどんどん利用して、自分の選択した外国語を、実際に外国に行って、大いに勉強して欲しいと思います。

樹上トンネル図会2

木に登る聖人       
≪明恵上人像≫

明恵上人像 猿も木から落ちる、という。豚もおだてりゃあ木に登る、という。この場合、猿は木登りに長じた動物、豚はそうでない動物の例である。人はどうか。人は豚の側、現代の通常の生活で木に登る機会は少ない。
明恵はおだてられて木に登ったのではない。彼はすすんで樹上に坐す。用意した香炉と数珠を掛け、履き物を脱いで木に上る。結跏趺坐。印相はおだやかな禅定印。木に登れば、世俗と離れた感覚を得る。よしんば地上50センチの高さであろうと。
松籟は吹き渡り、小鳥らは群れて鳴く。活達な淡墨の線で松林の空間は生動感を伴って表現されている。全図を仔細に観察すれば棲息するリスも見つけられよう。
明恵の弟子、成忍の筆、13世紀前半の作とされる。
禅宗では賛の入った師の肖像画(頂相という)が大切にされる。悟りを得た認可のあかしなのである。師の忌日には頂相をお堂に掲げるのが習わしである。この絵の上部に付け足された紙に次の賛がある(明恵自身の書体

ではないというが)。
  「高山寺楞伽山中縄床樹定心石 擬凡僧坐禅之影写愚形安禅堂壁 禅念沙門高弁」。
  高弁は明恵の諱。縄床とは禅宗で用いる縄を張った粗末な椅子のこと。楞伽山と名づけた山中、お気に入りの樹石の上で坐禅に励みヨーガの三昧に没入する明恵の日常が偲ばれるのである。
  自然と一体となった精神の安定と、そして気迫。成忍の筆は頂相の漢画的な定型を脱し自己流絵巻風の、自然の空間把握に創意のある良き大和絵となっている。尊敬する明恵の思想と生活をまるごと伝えようとする。
  明恵上人(1173−1232)は栄西と文覚を師に禅をきわめ高山寺を再興した。高山寺は洛西栂尾にあり、華厳と真言の実践道場寺。紅葉の名所でもある。本作品のほか、《鳥獣戯画》をはじめ《仏眼仏母》、《華厳祖師絵伝》など多数の名品を所蔵する。往時、学僧や絵仏師の集う学芸の一大センターでもあったのは明恵の高徳の反映であったろう。
  近代の聖画家、村上華岳は絵筆を取る前に、住まいの六甲山中で森林浴をしたという。斎戒沐浴、心身を清めて大切な仕事に集中したい。聖人はすすんで木に登る。我ら俗人とて猿、豚に非ず。近在の里山散歩に出かけたい。
  樹下美人図も著名だが本図は樹上聖人図とも呼びうる。世俗画と新式の宗教画の対比。もう一つ、本図と対比したいのは(近年、足利直義像説の出た)《伝源頼朝像》。あの室内の武人=政治権力者画像とこの林間の宗教者画像との対比で何が言えるか。中世肖像画で明恵と伝頼朝の画像こそ傑出し拮抗する2点であるだろう。

(虚臭衣笈)

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