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ミニコラム 外国語に想う【13】
国際学部教授 川田 順造
こどもの頃から「ことば」に興味があった。今でも例えばアストラムラインの車中アナウンスで、牛田駅でだけ「次は牛田、ビッグウェーブまえです」と、「まえ」を「高高」アクセントで発音するのが(他では「不動院前」のように、「高低」アクセントだ)気になって仕方がない。気になる日本語の数々については、新聞、雑誌に書いたり、ラジオで話したりしてきたが、まだまだ言い足りない。 学校でもいろいろなことばを習う機会があったが、好きなので苦にならなかった。通学に便利だったために、暁星中学というフランス系のミッションスクールに3年通った縁で、中学1年からフランス人の先生に週4時間フランス語を(英語は5時間)習った。英語はその頃「カムカム・エブリボディ」のテーマソングで有名だった、ラジオの平川唯一先生の英会話が夕方6時から30分間あり、面白さにつられて3年余り続けた。病気で1年休学した後の中3のとき、Burnett のLittle Lord Fauntleroy とWebsterの Daddy-Long-Legsを自分で買ってきて読んだ。こども向けの平易な英語の小説だが、要約版でなく、かなり長い原作を2冊読了した喜びは大きかった。 高校へ行かなかったが、検定も大学入試もフランス語で受け、大学前期は生物系でドイツ語のクラスに入り、ギリシャ語とラテン語の単位も取った。後期に進学した教養学科では広く自由に勉強できたので、専攻は文化人類学だったが、フランス文学や英文学のゼミや講読にもずいぶん出た。大学院生のときフランスに留学し、パリ大学で学位を取ったしがらみで、その後大学院の講義やゼミも何度か受け持たされ、四苦八苦したが、自分の考えを工夫してフランス語で表現し、受講者と議論するのは楽しかった。 熱帯アフリカの、文字を必要としない社会で住み込み調査をするようになって、外国語などという枠にはとうてい収まらない、音調言語や太鼓ことばと長年つきあうことになり、豊かな音の世界のなかのことばというものに「耳をひらかれた」。学生時代から、ゴーゴリやチェーホフが好きだったのにロシア語を習わず、大放浪者イブン・バトゥータに憧れながらアラビア語を知らず、魯迅を敬愛しているのに中国語を学ぶ機会を作らなかったことが悔やまれる。今からでも、少しでも勉強したい。生きている時間が惜しい。 生活が基盤になった、ことば以前のcommunicabilityがあって、ことばによる伝え合いも可能になるのだが、ことばは新しいcommunicabilityを生みだしてゆく大切な手段でもある。「語学」を勉強して「××語を」読み話すのではなく、「××語で」人を知り自己表現をして、人との間に生きた伝え合いを作りだすところに、ことばの力があり、面白さもあるのではないかと思う。 (編集者注:文中、赤字部分は実際の紙面では傍点がふってあります。)
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