樹上トンネル図会4
◆核兵器所有の畜獣を憶え  
       原民喜≪ガリヴァの歌≫

 『ガリヴァー旅行記』(スウィフト、1726年)は有名だ。だがガリヴァーの行った先を尋ねると小人国と大人国しか言えないのでは話にならない。それでは全体の「起」と「承」でしかない。
リリパット国という約十二分の一の身長の小人国、ブロブディンナグ国という約十二倍の身の丈の巨人国歴訪の次にガリヴァーは、ラピュータという空飛ぶ島国を経験する。さよう宮崎駿のアニメの名の出典がここの筈。
ガリヴァーは日本にも来ている。1709年5月末から6月のことで、江戸に参府し「皇帝」に拝謁し踏絵免除の密約措置を受けている。これが「転」で次が「結」。
行きついた最後の渡航先こそ驚愕すべき、信じられない、人によれば理想郷だともいう凄い国だ。
フウィヌム。これがその国の名。フウィニー(Whinny)という英語は、(自動詞、名詞)馬が静かに(うれしげに)いななく、その音声、擬音語、とある。馬の国である。この国の言語に政府や戦争や法律や処罰などを表すことばはない。恐れや悲しみ、怒りや憎しみの感情もない。そこでは友愛と博愛を重んじ、たしなみと礼儀正しさを大切にする。病いがなく戦争を知らず、嘘をつかない。「理性を磨け」を国是に、理性的で清潔な馬人が住む。
だがこの馬人国に、おぞましくも卑劣、ひねくれて残酷、ずるくて陰険、意地まがりで復讐心が強く金への占有欲に我れを忘れ、争うばかりで傲慢卑屈の、そのような下等動物が群れていた。馬人はこの下等動物を労働使役用に飼育していた。ガリヴァーがこの地に上陸早々に出会ったのはこやつらだ。そのシーン。吠えながら蝟集し、数匹はたちまち樹上に飛び登るやガリヴァーめがけて一斉に糞尿を垂れ落す。樹上の下等動物の黄金物がポッタンポッタン砲撃落下のこのシーンを図示するのはあまりに尾籠ゆえ、パス。この不潔汚穢の畜獣の名は、ヤフー。嫌悪感の表明であるヤー(yah)とウッフ(ugh)、この2つの間投詞の合成語という。パソコンのYahooの出典はここの筈。悪趣味の名づけで慨嘆に耐えない。

 ガリヴァー最大の屈辱は馬人によってヤフーの隣に並べられ身体検分されたことだ。ガリヴァーは気づいた。「この醜悪無比な動物が実に人間の姿そのものに他ならないこと」を。
語学熱心なガリヴァーは馬語を習得する。高徳の馬人の言語には「悪い」を表現することばがない。従って邪悪なヤフーを形容詞的に用いて、例えば「天気が悪い」は「テンキ・ヤフー」というのだ。
さて広島市立大学の図書館、開架棚には岩波文庫版(平井正穂訳)が3冊ある。いずれもよく借り出されていて学生の手垢になじんでいるのがうれしい。日本におけるガリヴァー翻案の歴史は明治13年以来百種近くあるようだが、ここで特に注目しておきたいのが原民喜の『ガリバー旅行記』(講談社文芸文庫1995年、晶文社1977年)である。原民喜は死の一年前この仕事に集中した。原稿完成後、世を去った。原民喜はガリヴァー愛読の一環として「老水夫の話をきき入っている少年ウォター・ロレイの絵を御存知ですか」という。図示はArther Rackhamのもの。この絵?乞う、御教示。「原爆あとの不思議な眺めのなかに──それは東練兵場でしたが──一匹の馬がいたのです。その馬は負傷もしていないのに、ひどく愁然と哲人のごとく首をうなだれていました」とも記す原民喜は、核兵器を所有したヤフーを想定していたに違いない。彼の「ガリヴァの歌」なる詩を全文引用して拙稿を閉じる。

必死で逃げていくガリヴァにとって
巨大な雲は真紅に灼けただれ
その雲の裂け目より
屍体はパラパラと転がり墜つ
轟然と憫然と宇宙は沈黙す
されど後より追まくってくる
ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪
いかなればかくも生の恥辱に耐えて
生きながらえん と叫ばんとすれど
その声は馬のいななきとなりて悶絶す

(刻才凹威)

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