樹上トンネル図会3
◆飛行自在の術で宮廷へ
    ≪吉備大臣入唐絵巻≫の幽鬼

図版A 「広島アニメーションビエンナーレ2004」がまもなく開幕である。“アニメ”は英語圏ではアニメ漫画だけを指すのだそうだ。アニメーションは映画用語。でもアニメーションというと≪鳥獣戯画≫絵巻ばかりをその元祖としてことあげするのは腑に落ちない。
  日本絵巻物の世界をなんにも知らん、なにも見てはいない人に、たやすい鑑賞の方便として中央公論社版「日本絵巻大成」、角川書店版「日本絵巻物全集」の一望をすすめる。一瀉千里に、この2シリーズのページをめくるとよい。
  さて紹介する図版A, Bは≪吉備大臣入唐絵巻≫(12C末−13C初、ボストン美術館蔵)の部分図。廷学者の課す難問を鬼の助けを得て解決する話である。その鬼とはかつての遣唐使阿倍仲麻呂が餓死して化身した亡霊なのであった。
  図版Aは仲麻呂の幽鬼と真備が飛行自在の術で宮廷へ向かう場面。現実には空を飛べない人間が想像力の世界で飛ぶ場合、その飛翔ポーズはいかなるものがふさわしいか。俗人はアメリカ漫画の“超人”、日本漫画の“宇宙少年”のように、マント着用、装置を使うなど理づめの過剰行為をとるが、聖人君子はそうではない。仏道の行者として彼らは正座を崩さず滑るように飛ぶのである。正座姿で風を切る飛行姿勢がリアルである。
図版B  図版Bは2人が宮中で隠密活動をしているところ。真備が聞く耳をたて仲麻呂はその後ろで柱に身をかくし見張っている。巧みな表現。きわめて現代的で前衛的な漫画作法の達成があると思える。
  絵巻という絵による物語は見る者を安心させて非現実を現実と地続きにする。カタルのである。そしてまた史実でないことを作品化する。“お話”にすぎないことを承知で、現実より一層の迫真性をもたらすのだ。
  吉備真備(695-775)と阿倍仲麻呂(698-770)は実は717年の同期の遣唐使であった。仲麻呂は宗皇帝に仕え李白、王維と親交したが望郷の念果さず、長安で客死した。二宮正文は「森有正の歩み」(『私の中のシャルトル』ちくま学芸文庫収録)で、「母国日本で形成され、第一線にたって仕事を始めていた一人のすぐれた知識人が、外国文明の渦中に身を投じ、そこにおいて、肉体と精神のすべてをあげて、二つの文明の接触を生きぬいた」森有正の先例として、8世紀の仲麻呂の名を強いて挙げる。日仏間とは比較にならない、日中間には深くて長いつきあいの歴史がある。不幸な近代の一時期は本当にひどい時期ではあったけれど、限定的な一時期であったことにせめても慰めがある。悠久の親密な日中友好史。であればこそ、中国各地に建てられた日中不再戦の碑は格別の意味を持つ。だから西安・興慶宮公園の仲麻呂記念碑に深い思いを持つ。

(哭妻負)

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