文学のトンネル4
◆ハムをはさんだライ麦パン

 チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』(柴田元幸訳、新潮文庫)は糞ったれとケツの穴とマザファッカーと尻とオシッコと屁、みたいな俗悪小説である。宇宙人や死神エスパーまで出てくるめちゃくちゃな筋。アウトローでパンクなんだ。そこが読後、さわやかな気にさせる。飲んだくれの最低探偵ニック・ビレーン(55歳)には節操なんか、ほぼない。
 やや強引だがそれに比べてJ.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳、白水uブックス)の主人公、ホールデン・コールフィールド(16歳)は考えてみれば大変な節操少年だ。彼が「気が狂いそうなほど」頭にくるのは、全ての学校と博物館と墓石に落書きされた“オ×××シヨウ”だ。消そうとする。でも決して消せやしない。不可能だ。絶望。だから彼は精神の病院に入るわけ(?)。
 村上春樹が、メルヴィル『白鯨』のエイハブ船長と、フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』のギャツビー、それにホールデン君の3人のヒーローは「志は高く、行動は滑稽」という点で共通する、と指摘しているんだって。これとは全然べっこだけど、学校、博物館、墓石の3者も「高志滑稽」で共通しないか。落書きされて当然だよと言ってはいけないけれど言いたくさせるナンカ。笑ってもみほぐしてやりたいような大まじめさのオーラ、あるいは臭気が共通(?)。
 柴田元幸の『愛の見切り発車』(新潮文庫)によれば、ケネディ暗殺、ベトナム戦争激化の60年代、若者がバイブル視した3冊が、J.ヘラー『キャッチ=22』、ケン・キージー『カッコーの巣の上で』、そして『ライ麦畑』だそうだ。エスタブリッシュメント批判で共通するのだ。
 『ライ麦畑』(1951)はマーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』(1884)の20世紀版であるというのが公認の説。柴田はハックには「人の好さ」があるがホールデンは「二言目には他人のインチキ(phony)さを声高に批判しないと気の済まない」少年だという。インチキ、偽善、下司、陳腐と言いつのり嫌悪しまくるのである。潔癖? そもそもアメリカという新興国はヨーロッパに対して自負と劣等感を持つ。アメリカ少年ホールデンも「僕はみんなと違うんだ」という意識過剰の病い持ちなんであるかな。19歳の夏に読んだ坪内祐三はホールデンの「一人よがりの純粋さが鼻についた」と『古くさいぞ私は』(晶文社)で述べている。きっと柴田も同調するだろう。柴田はサリンジャーに熱してない。『ライ麦畑』は青春バイブルとして定着したが「『制度』になり果てた惰性ゆえ、という面がなくもない気がする」としている。
 ブコウスキーに『くそったれ! 少年時代』(中川五郎訳、河出文庫)があり、その原題はHam on Rye(ハムをはさんだライ麦パン)。『ライ麦畑』はThe Catcher in the Rye、うん確かにパロディめくなあ。柴田の憶測。「ひょっとしてブコウスキーは、少年文学のバイブルに冷や水をかけてやろうという気でもあったのだろうか」。

(エルなし油)

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