外国語を学ぶ3
◆「・・・」と、ホゾな噛みそ。

 学生諸君の年ぐらいのとき、聞いたか読んだかした話である。「大脳中枢のうち、言語中枢は30歳ぐらいで退化するから、言語の勉強は20代までだよ。退化する前に言語中枢にしっかり刻み込んでおけば、後日、全部忘れたようでも必要なとき勉強し直せば刻み込んだ水準までは回復する。しかしそれ以上はなかなか伸びない。また年をとってから新しく言語の獲得に挑むのは労多くして効少なしだ」。
 大脳生理学の理に適った話であるのかどうかはわからない。また、この話をネタに、他人に仰々しく"説教"するほどわたしが語学に打ち込んだわけでもない。しかし、時にふれ「なるほど・・・」と思い当たるのである。東京のW大での修行を終え帰国しソウルのH紙の入社試験を受けたところ、外国語は英・独・仏語からの一カ国語選択だった。当時(1950年代末)外国語といえばその三カ国語が相場で、日語は"上場"外だった。運も手伝って入社してからは何かと試験とは関係のなかった日語とつきあわされた。十数年後役所づとめになってからも同じ羽目にあわされた。40過ぎてパリの廃兵院で、小豆色ロシア産大理石のナポレオン一世の棺をみたとき、「ヨッシャ、このくにの言葉は一つモノに・・・」と発奮したまではよかったが、言語中枢がすでに退化した後のためか、かつての得意(?)な科目を伸ばすことはできなかった。やはり"時効"だったようだ。ご縁があって、本学開学とともに教鞭の"鞭"をとる恐ろしい立場に立つようになってから、資料操作の必要上、三カ国語と睨めっこするようになったが、「なぜ、あのときに・・・」と、臍を噛んでいる。
 学生諸君も後日、きっと思い当たるときがあるに違いない。20代のみなさんはいまが黄金の"刈り入れ時"であり、二度とその機会はもどってこない。語学の勉強に"王道"はない。ただひたすら刈り入れ、また刈り入れ納屋にどっさり収める。そして必要なとき取り出しては身を養い、豊かな"人生の並木道"を歩んで欲しい。

国際学部教授 姜 範錫

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