天重の隅っこ4
◆映画史いかが?

 ジャン=リュック・ゴダール≪映画史≫を観た。映画の歴史、だが、たかだか百年少しの若く短かいその歴史を老練監督が長い映画にしたのだ。10年以上かけて制作した全8章、4時間半。
 完璧な、深い眠りに陥ろうとするのによく耐えた。少くとも4分の3はともかくも意識を持続して観た。ゴダール特有の例の如く、引用につぐ引用。ズタズタのモンタージュ。
 何度も何度も、画面にフランス語でくり返される「映画だけが」、「映画だけが」、あるいは「命がけの美」、「命がけの美」。──なにか、フランス語の授業みたい。そう、これは仏語仏文化学習の良い機会なのだ。映画は金を莫大に使わず、飛行機の世話にならずに、異国の先端文化を伝えてくれる。
 HISTOIRE(S) DU CINEMA、3行にわかち書きされたこの映画のタイトルばかり、観せられる。──そう、これは予告篇なのだ。人間の文化における映画の良さ、重大さをPRし、来たるべき偉大な本篇の素晴らしさを予言する。
 「映画は写真を相続して始まった。近代絵画の父マネは、映画の父でもあったのではないか?過去は死なない、過去ですらない。あの1942年の列車」(≪映画史≫チラシ、より)。「42年の列車」とは無辜のユダヤ人をつめ込んで収容所へ向かう列車だ。ナチ親衛隊がゲットーからユダヤ人たちを追い出す、あの有名な写真(パリ、現代ユダヤ人資料図書館蔵)は、フランクル『夜と霧』のカバーにも用いられている。だが映画は・・・殉教者映画のロシア、商業映画のアメリカ、無為のイギリス、不在のドイツ。「そして、もう二度と決して、が/いつだってそんなものさ、になったとき」(≪映画史≫テクスト、より)。
 「それに対して、『無防備都市』とともに、イタリアは」?「オウィディウスやウェルギリウス、ダンテやレオパルディの言葉が、映像のなかを通過した」その国。ゴダールがハリウッドに距離をとり(ディズニー・アニメの挿入は興をそぐ)、抵抗した唯一としてイタリア映画を称揚するのはひとつの見識。僕は「大聖堂の古びた大理石の語ることば」で始まり、「ぼくらのことば イタリア語 ぼくらのことば きみのことば」とリフレインする'72年デビュー、コッチャンテの歌に興味を持った。バタイユの『沈黙の絵画』もいずれ再読したい。
 皇太子殿下御夫妻御臨席のもとの第15回国民文化祭開会式挙行のその日、僕は地下の映画館で≪映画史≫を観ていた。文化の日の良い過ごし方だったと思いたいが如何?
 ところで大学に行ったところ、大学院生ダイゴロが「≪映画史≫見ました。『美術史』とは何?」と御下問。左様、「その問いこそ僕の問い」とこの美術史教師は答えたのでした。

なべふたなし天丼

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